もうすべての人が発達障がいにしか見えない発達女子がブログを使ってなにかを発信するだけ

自己肯定感のアップダウンの激しい自分のアウトプット、客観視できるように始めました。昨今メディア露出頻回になってきましたが、まだまだまだまだ当事者として、理解されづらい・説明しづらいことに苦悩しています。そしてなってみてわかった。グレーゾーン含めて隠れ発達障がいの人が多い(←カンと癇に障るからわかる)もうすべての人が発達と思ってしまおうという自己防衛。毎日の一日の中でフラッシュバックし、いろんな激情を味わったり、人よりウン十倍も退屈感や不安感を持ってしまうこと、すこし伝えられたらという下心。叩かれるの歓迎で

発達障がいの人を通じて自分を見るということ

 

最近発達障がいを持つ人と接することが増えてきました。

 

 

「すぐテンパるよねー」

「頭いつももやもやするよねー」

「死にたくなるよねー」

って意外とわかり合えることが多くて、

自分だけじゃないんだなぁって勇気になる。

 

 

経験談も似通うところが多くて

「職場に発達っぽいのが自分だけで浮きがちだった人」

「周りも発達っぽくて特に浮かなかった人」

様々でした。

 

あとは自殺未遂の経験も教えてくれる人もいた。

すごい共感できた。

死のうとする前は

いつももやがかかっている頭がスッとすると話してくれました。

あたしは衝動的だったから覚えてなかったw

やっぱりこの頭ではこのご時世生きていくのはしんどいんですよね。

定型さんより自殺率3倍なのもよくわかる。

 

「いじめられていた」「家族を憎んでいる」「死のうと思った」

死ぬほどつらかっただろう想いを

それをちゃんと笑って言える勇気

諦めも自己否定も嘲笑も多分に含んでいるかもしれない。

それでもすごいなって思う。

 

わたしはアスペルガーADHD両方の特徴からか

自分の意見を覚えてられないことから「自分がない」

んですよね。

だから、周りの発達障がいのひとを通じて自分を見ている気がする。

 

自分もそういうところあるなって思うところ、

相手には「すごいな」「ここはなんかやだな」って思えることを

自分にも「それと同じ感情で、認めてあげる」ことをしようと思う。

自分を覚えてないからわからないけど、相手の良いところ、悪いところを認めることは

今の自分を認めていくことでもあって、その作業はとても暖かくて心地い良いんです。 

 

たとえをあげると

すぐ異変に気付いて「どしたー?」って声をかけてくれる人がいる。

その人は周りを見て、ひとりひとりの様子を感覚的にみんなを見つめているから

すぐ気づけることで、私がすぐ戸惑ったようにきょろきょろしていると数秒後には声をかけてくれて、一緒に悩んでくれる。とてもすごいことだと感じた。

 

そしてわたしもそういやよく人に声をかけることがある。感覚的に人の異変に気付くことができる。カンもよくあたる。体調不良も手に取るようにわかるときがある。

それは案外人にはすごいと思われることなんだと、その人を通じて感じた。

自分一人では絶対にそんな答えにならない。

「もっとこう声をかければよかった」「あんな発言しなければ」「あの行動は恥ずかしい・・・」とか後ろ向きなことしか見えないから。

 

でも今回人を通して自分を見つけていく、自分の評価を、自分が認めてみること

これでちょっとずつ変わっていこうと思う。

すぐ忘れちゃうから、少しずつ。

いろんな人にたくさん助けられながら生きる人生だけど

自分が元気であれば,恩返しできるときもあるよね。

死ななくてよかった、って思える人生にします。

たぶん。衝動的に死んでゲームオーバーになったらなったですわ( ˘ω˘)

 

今日もお疲れさまでした。こんな世の中に存在していることがすごくて

奇跡です。

このなっがい文字を読み進めていてくれることも奇跡、一期一会ですね。本当にありがとうございます。

今日もゆっくりめい想やYouTubeして休んで、また明日( ˘ω˘)るいでした